せどりを始めようと思った時、せどりをしている時、せどりについて、後ろめたさを感じている方は思いのではないかと思います。結論から言えば、うしろめたさを感じる必要はありません。
なぜ転売にうしろめたさを感じるのか
大阪市の医薬品卸売会社の元男性社員が、納品を担当していた兵庫県内の公立3病院で医薬品を繰り返し盗み、転売していたニュース。この事件では1億円余りを不正に転売し、利益を得ていました。別のケースでは、青銅製のプレートを盗んだとして、宮城県警は窃盗容疑で、無職の男を逮捕した。被害は約380点、被害総額も約1900万円相当に上っている。容疑者は十数枚のプレートを転売して利益を得ていました。
「転売」という単語を聞くときは悪いニュースと結びついていることが多いからです。「転売」=悪かのように刷り込まれてしまっていると言えます。そのため、多くの人が転売と言われるせどりに後ろめたさを感じるのではないでしょうか?あくまでも上記のケースは窃盗や横領の罪であり、転売の罪ではありません。
うしろめたさを感じる必要がない理由
皆さんは窃盗をして、それを転売しようと考えているのでしょうか?違いますよね?お金を出して購入したものを別の人に売ろうとしているのですよね?「せどり=転売」ですが、「せどり=窃盗でも横領」でもありません。転売とは、誰かが作ったものや誰かが売っているものを自分の利益を上乗せして他人に売ることですよね。
せどりは転売の1類型にすぎません。適当に定義するのであれば、小売店で売っているものを入手し、他人に売るということでしょう。ほかにも転売で設けている会社はさまざまあります。今はメーカー機能を持った商社も増えていますが、従来型の商社は他人が作ったものを自分の利益を上乗せして、販売業者に売る仕事です。販売業者は商社や製造業者から買ってきた商品を消費者に小売りする仕事です。このように考えるとメーカー以外は全て転売業者です。
もっと言えば、メーカーも素材メーカーから買ってきた素材を加工して転売しています。
せどりは価値を生み出していない?
みんな転売していることは理解できた。でも商社も販売業者もメーカーも価値を提供しているよ。せどり転売は価値を提供していないから不必要な存在なんじゃないか?商社は販売業者の仕入れの手間を減らすことで物流において価値を提供している。販売業者も例えばスーパーであれば、一つのお店に行くことで何でも揃えることができる。メーカーはおもちゃを作ることで子供たちに喜んでもらえる。せどりは価値を生み出していないのではないか?という問いです。
せどりが生み出している価値とは何か?例えば、単行本せどりであれば、あなたが近所のブックオフで仕入れた単行本をAmazonで販売することで、「近所の古書店にも新書店にも売ってなかった商品を買うことができた」と喜ぶ人がいます。セット本せどりであれば、「昔からこの本を全巻読破したかった。」と喜ぶ人がいます。つまり商社的な価値の発揮の仕方をしているのではないでしょうか?
家電量販店で定価1000円の商品が100円で安売りしていて、それをAmazonに出品することで1000円で売れ、500円の利益を得たとします。本来100円で買えるものを1000円で売るなんてけしからん!!という人がいます。ほんとうにけしからんのでしょうか?農家から直接買えば100円のイチゴがスーパーでは1000円で売ってますよね?あなたは農家に買い物に行きますか?スーパーが1000円でイチゴをうることはけしからんでしょうか?
家電量販店の例で言えば、そもそもその店で100円で安売りをしていることを多くの方は知らないでしょう。売っているという情報を得ても、近所でない限り行かないでしょう。簡単に買い物ができるAmazonで1000円で買うのではないでしょうか?つまり、不良在庫だから売りたいという店舗から買ってあげて、Amazonに出品することで、欲しいと思っている方が手に入るようにしています。せどりは十分な価値を提供していると言えると思います。
それでもせどりは悪いことですか?
価値を提供しており人の役に立っています。仕入先・販売先が違うだけでやってることは他の業種と一緒です。うしろめたくて始めることに躊躇している方にとっては、始めるきっかけに。せどりをすることに後ろめたさを抱いている方にとってはそれが払しょくされるきっかけになればうれしいです。もし、せどりを否定されることがあれば、商社、メーカー、小売業者も否定するのか?と問い返してみましょう。おそらく、否定してくる方は何も考えずニュースの中身を理解せず「転売=悪」と思い込んでしまっているバカです。しっかり全体の内容を理解できるようになろうねと諭してあげましょう。