【せどり副業】経営者から見た労働者とは 搾取されることをやめませんか

「30代で年収1000万円に到達する企業に勤めていること」が私にとってはものすごいプライドでした。「でした」でもあり、現在進行形の「です」でもあります。今でも私を支える大きなプライドの一つです。年収1000万円を越える層は〇〇%などという東洋経済の特集を見て、にやにやする。入社同期と話をしていても、「1000万円」というキーワードはキラキラした単語としてよく出てきます。内定者の集まりの時も、頻繁に出てきたまさにキラーワードでした。この言葉に私たちの思考は停止させられたと言っても過言ではありません。ただ、今は少しだけその考え方が変化してきました。

人を雇うことを想像してみると

今はせどりでお金を作り、起業することを考えています。具体的にどのような業態とするかは考えていますが、今は言えません。その時のことを想像したときに、会社を大きくする過程において必ず必要になってくるのが、労働力です。一人でできることは限られているし、労働時間にレバレッジをかけようとすると必然的に人を雇う必要が出てきます。むしろ、多くの人が起業する理由は、労働力が欲しいからであると考えられます。自分の代わりに働いてくれる人が欲しい。自分と同じように働いてくれる人が欲しい。

では、もっと具体的に経営者目線で人を雇うことを想像してみると、労働者はとにかく安く雇用したい。品質が保たれるのであれば、人件費は安ければ安いほど好都合です。仕入原価、事務所の家賃、輸送費、広告費、すべてのものが安くなればなるほど利益は増加します。当然効果が最大化されている前提ですが。

経営者目線で考えると、私のプライドである年収1000万円は見方によっては、「安ければ安いほど良い」の終着点なのかもしれない。今勤めている会社として考えた時の採用の優位性、人件費の圧縮これらの均衡を保つのが年収1000万円なのだということができます。年収1000万円をあたえておけば私たちのように気持ちよく働いてくれる。内定者時代のように思考停止してくれる。まさにキラーワードに殺されてしまったのだと思います。

思考停止

1000万円がプライドになっている時点で、私は完全に思考停止し、経営者の奴隷と化しました。ちょっと周囲の仲間よりも収入が多いというだけで喜び、収入を爆発的に増やそうという思考を停止させられました。今の給与に満足しているため、それ以上の働きをしたいと考えます。精神を削り、命を削って、その結果、私は、燃え尽きました。経営者としてはそこまで望んでいなかったのかもしれません。もう少しほどほどに賢く長く働いてくれることが好ましかったのかもしれません。

【セット本せどり】副業をする理由

経営者にとって雇用とは

経営者は社会に対して雇用を生み出しています。これは社会貢献であり、様々な価値も生み出しています。会社も、従業員もそれぞれが適切に税金を納めることで納税による社会貢献も果たしている。しかし、本質はどうだろうか?まとまった給与により、労働者を奴隷化し、思考停止させ、搾取し、大きな利益を得ているとも言えます。様々な見方があり、どれも誤っているとは言えません。

結局、どう生きたいのか?というところに帰結します。当然、経営者には労働者にはないリスクが伴います。大きな利益を得るために設備投資をし、多額の借金をすることもあるかもしれない。それが失敗すれば、借金地獄にハマるかもしれない。思考停止状態で労働者としてあり続けた方が「まし」だったと言えるような結末が訪れるかもしれません。ただ、何もしないで労働者であり続けるということは搾取され続けるリスクを背負い続けることでもあります。いずれも、なんらかのリスクがあると言えます。

そして、この搾取はお金だけにとどまらないと思います。子供と過ごす時間、人間らしく生きる時間、趣味の時間。少なくとも私はそのすべてを仕事にささげてきました。土日も仕事をして、時には終電を超えて仕事をし、会社の近くのホテルに泊まり、始発前に会社に出社しました。成果が出た時は楽しかったですが、この成果により私にもたらされるものは、一時的な評価を得ることにとどまり、会社は非常に大きな利益を得る。どうありたいか?しっかり考える必要があると思っています。

みなさんはどう考えるますか?

私はもう搾取されたくない。お金も、子供との時間も、精神も。



 



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